Vina del Mar by Youtube
Google からコピーしたサンチャゴ市内の感じです、一年中スモッグに覆われている街ですのでこんなに綺麗に見えるのは年に数度しかない
私の事
1980 年 6月 から 1984 年 9月までサンチャゴ市内のRadio Center Ltda (パイオニア代理店)その後パイオニア・チリで現地サービスマンとして働いておりました。
妻はサンチャゴ市内で知り合ったチリ大学の医学生でした。妻はメンドーサ生まれのフランス系アルゼンチン女性です。とても気の強い女性です。
一般的にアルゼンチン女性は気が強いのが特徴です。その後 帰国して私はPanasonic Japanの社員となり早期退職したのが1998 年です。チリに戻りました、
2回ほど職を変えて、業務無線機器修理会社の米国系企業のMKS Chileに入社しました。2003年5月に並行して行っていたアンプ製造の仕事に問題が出て2003年5月に帰国しました。
のべで、チリにいた期間はほぼ7年となります。その前の1973年から1976年までジャクソンビル・フロリダのユダヤ系の多国籍企業で日本製品を修理の為に在住していた頃があります。
米国から帰国後や、ソニー 株で サンチャゴで働くまで修理の仕事をしていました。と言う話です。2000年頃自力でチリの企業で働いていた日本人は私が最初と思います。
メルクリオの新聞 求人欄から選んだ仕事でしたまた、その以前にAVポルトガルの無線機器販売会社で修理の仕事をしていた経験があってMKSに入社しました。
日本人を使っていただけたMKS のオーナーとチーフエンジニア氏にはとてもお世話になったのを今でも憶えています。
1981年当時、偶然お会いしたJETROチリの青木氏は私の親戚であったのも、チリ日本領事館の領事が私の妻の遠縁の Sr Ponce氏だった事を後で知りました。
世の中はどこかで繋がっているのでしょうと思いました。南米チリで合うはずのない青木氏にあったのも何かがそうさせたのでしょう。
ポンセ氏は私と同じ無線通信士でした。私の叔母(義理)のご主人であったのは昔の事ですが、叔母にも大変お世話になりとても優しい婆さんでしたのを時々思い出します。
青木 氏とは数度しか合っておりませんし確かに遠縁であることは確かな様です。
ビィーニャの先のプラヤ(コンコンの近
く)
playa amarillo
のもっと先です。
ビィーニャの駅
プラヤの丘側にはこんな風景の建物が
有名な風景です。ここはVina del Mar 一般的な風景
で、この海岸の先、奥の方にコンコンと言う地域があります。チリの海は海岸線がとても綺麗です、何か
ヨ─ロッパの風景にも似ていますが、フンボルト寒流が南極からエクアドルの沖まで流れており、とても
冷たい海流の為に水泳には不向きと言われています。暖流が流れていたら、Hawaiiの様になって
いたことでしょう。
ここがPlaya amarillo
ペリカンが沢山 コキンボなどもペリカンが沢山います。
ここはビィーニャです。
La Costa とサンチャゴを結ぶ幹線道路にはこんな風景の
葡萄畑がいっぱいあるわけです。何もないけど綺麗なところです。
西暦 2002
年サンチャゴ市内
プロビデンシアからラスコンデスへ
アポキンドと言われる通りです。この手前が右の地域です。
ちなみにアポキンドと言う地名はインデヘナの言葉からとった名
月並みですがプロビデンシアから
アポキンドに替る交差点です。
トバラバ通りが始まります。
結構 綺麗な地域ですい。
南限の椰子で有名なのです。下はビーニャ近くの椰子の森です。有名な所
夏のトラバラ通りからラスコンデスを見る
ラスコンデス地域 のプロビデンシア隣接区地域
ここからアポキンド通り晴れていると奥はアンデスが見えるのですが
プロビデンシアの小さな教会、AV ロス・レオネスがこの下を通っています
軍病院もなくなって反対側も変わったのでしょう。
トバラバ通り沿いのからの風景
そして夕焼け の風景
ポクロに住んでいた頃のお隣さんの
綺麗なブーゲンビリアです。
隣を見ると目が覚める様な咲き加減
とても懐かしいです。
秋のサンチャゴ市内、
Google street map サンチャゴ チリ プロビデンシア地区
ふっと思うとそこには銀杏の木
があるのも、サンチャゴです。
学名は忘れましたが日本と言う名
がついていたような気もします。
サンチャゴ・チリにも 銀杏が路地に植えてあります。市内には至る所に街路樹として銀杏が植えてあります。大木になったものを見受けます。日本の事を書いた小切れ板が貼ってある
場合もあります。
2000年頃住んでいた近くの銀杏
の木です。今でも元気に日本元来の樹木が生きています。GoogleMapは2014年のものです。冬になると銀杏をよく拾いに行ったものです。近くに住む韓国人の家族も拾っていましたのを覚えています。
日本では100年前に絶滅したとされていますが、私の故郷の麻賀多神社の銀杏の木は数百年前の樹木です。Wikipediaはあってないと思えます。
このページチリの紹介ですが、私の故郷の千葉県佐倉市には古い神社があります。麻賀多神社と言います。麻賀多神社には大きな銀杏の木があるのです。2枚紹介しますね、
   
これらが、私の故郷の麻賀多神社の画像です。毎年、参拝に行きます。コロナでも、今年 2021年新年も、ここは行きました。
西暦 2002 年
サンチャゴ 市内の風景と スモッグ
私が 働いていた
会社の 近くから 撮った 風景 2003 Santiago,Chile
午前中のサン クリストバルの 丘の 山頂 付近 から撮った風景
そして町の中はこんなに近代的なんです。
10年もするともっと変ってしまうと思います。何せこの近くの
地下にはメトロが走っているのです。
冬ちょっと寒い感じです
南米の冬は湿度が高く気温は
日本ほど低くはないがじんめり
とした頃となります。
ポクロ通りから見たアンデス
アンデス山脈は普段は曇った
冬が多い為 見えることはない
のですよ、こんな綺麗に見える
のは大雨が降った翌日です。
ポクロ
通りからアコンカグアの方向
を見た風景です。
Av Pocuro とても静かな住みやすい地域です。(Providencia)
週末なので、まだ 良いが ウイーク デイ は
もっと スモッグ が ひどくて 厳しい
きょ
うは ケーブルカーが メンテナンスの為 稼働しておらず、山頂まで、歩いて(
徒歩
1時間 ほど)散歩 ただ
中腹までは スモッグでかなり息苦しい感じでした。それを 過ぎるとそうでも
ありませんでした。
夏
でも スモッグが かなり あり かなり 環境が変化している サンチャゴ市内です。
サンクリストバルの 丘 の 頂上 付近の 風景 です。下界 は スモッグ だらけです。
7合目
かな プール が ある ところ です。とても 綺麗でしょう。もっと
明るく 写っていれば
良いのですが、。スモッグ さえなかったら とても 良い サンチャゴ なのですが。
私
たち が 住んでいた ビルバオ周辺 です。
私達が2002-3年ころ住んでいたPocuroのマンションの前です小さなマンションでくつろげましたね、、小さいけどまあ良かったと思います。
サンチャゴ(チリ)をGoogle で見ましょう
Google Map を使います。ブラウザを使って、Google の検索を使います。
las condes santiago chile を検索します。検索結果にその付近の地図や、色々な情報がスペイン語で出てきましたら、上部 左上の「地図」をクリックします。
Googleで地図が表示されましたら、航空写真をクリックします。後はストリートビューをクリックしますと、どこかの場所に落ちますのでそのままマウスで街の中を散策します。
サンチャゴ市内はとても綺麗です。南米とは思えないと実感すると思います。
検索場所は「las condes santiago chile」 「providencia santiago chile」 「Valdivia Chile 」 「Vina del Mar Chile 」 「Iquique Chile」
「puerto montt Chile」 などです。これで北から南までおおざっぱに見る事が出来ます。サンチャゴ市内はスモッグがひどくて、晴れている日でもあまり綺麗に風景を見ることを満喫できませんが
雨が降った次の日はGoogleの風景の様になります。10年たっても大きく変化はない風景ですが、綺麗なビルが立ち並んだ風景は、南米を感じさせません。「Nueva constanera santiago chile」を
検索して見て下さい。ここに住みたいなあと思わせると思います。日本人は多い時でも1000人程度ですので、めったに会うことはありません。ちなみに日本大使館は、「embajada de Japon chile」
一等地にお城をかかえています。プロビデンシア地区です。AV LION にあります。メトロから歩いていける距離で、とても安全な地域です。
ポクロ通りからアンデスを見る
冬の弱い日差しの中からアンデスが覗く
リカルドライオン通り このストリートを歩いて行くと左に日本大使館があります
日本大使館のある通りです、GoogeleMapでお散歩して見ましょう。左手に日本大使館があります。
この地域は高官や会社の社員、中級クラス以上の人が住んでもかなり安全で、便利な地域と思います。最初のパイオニアの駐在員の人はこの地域に住んでおりました、私はNunoaと言うアンデス山脈の麓の地域に住んでいました。その後
この地域に引っ越しをしました。2回目の引っ越し先はこの近くのバケダノのメトロの近くでした。教会の近くの古いマンションでした。1983年頃でっす。
Monsenor Miller 通り
このマンションです、1983年頃です 懐かしいマンションです中はとても綺麗なマンションで、2ベッドルームその他部屋が一つとダイニング、暖炉が付いていました
その後、1998 年に無線機器の修理の為にチリに渡りました、その頃のマンションがオルキリアと言う場所でプロビデンシアの端になりました、結局は3箇所はこのプロビデンシア地区に住んでいました。愛妻といつも一緒です。
Orqudias
結構古くなったマンションですね、オルキディアと言うマンションです2000年頃です。
セントロ
です。スブテル
の電話塔が見えます
ロス・エロエの方向から
見たアベニダ・アラメダ
です。ベルナルド・オ・
ヒギンと言う名ですが
私たちにはアラメダが
呼びやすいです。
ここが有名なサンフランシスコ教会です。
パトロナートに 続く 橋から 撮った 風景 マッポッチョ川
この地域はParisに似ていると言われている地域です。
冬のチリの南です。いかにも 厳冬
アンデスなんです。
2006年 冬 私の製作した管球ア
ンプ を愛用しているお客様から送って
頂いた冬の南部の風景です。
2002
年 の 8月です 。
も
う 春かな ? と言う 風景です、昔と変らない 桜の花 やら 桃の花 やら
杏の花やら、梅、そして、
アーモンドの花やら まったく区別が
つかないほど咲き乱れます。 チリ の 春 その 風景 あと 1回ほど すごい雨のシーズンを迎 え
本当の 春となるそうですが、
今年は異常気象で 何か 春がかなり 早く来そうですと、言っていました。もしかすると干ばつかもと言う事も言わ
れて います。
プロビデンシアの 回りの 風景 、来た事がある人は 思い出して下さい。
そ
して アルマックの ある 裏側の 風景、昔は ここに ユダヤ人?の 豪邸が
あった、椰子の樹だけは
立
派に 大きくなった、昔 働いていた頃あった 杏の樹は 今 は
かなりの大木になっています。それを見ると
あー
時間ってたつのが早いのですね、と思います。昔 81年代は この 椰子の樹は
細いヒョロヒョロの椰子の樹
だっ
たのを思い出します。サンチャゴ・チリの椰子は一説によると南限と聞いた事があります。最近連立する
ほとんどの新しいマンション(デパルタメント)の製作者はユダヤ人と聞きます。大きな屋敷後でしたが、これらの
ビルのオーナーもユダヤ人なのでしょう。
チリってサンチャゴに限らず とても 綺麗な ところです。ね 、、私はそう思います。
2002初夏、テムコの仕事仲間(軍関係、無線設備)から送っていただいた写真です。。
2006から2008年の夏のアタカマやイキーケそしてサンタルシア、サンチャゴ・セントロのポイントの風景です。
チリ人の友達から送っていただいた写真です。
友達が夏休みにアタカマ砂漠で撮ったものです。2008年の2月です。
何か? 日本人の旅行者と遭遇して一緒に撮ったそうです。2008年2月14日の日付がありました。
ソナフランカと呼びます。チリには南と北にフリーゾーンがあります。
サンチャゴ・セントロには休火山があります。町のちょっとハズレなのですが小高い丘でこの丘も休火山なのです。
いつか?噴火するかも知れません。サンクリストバルの丘も同じ休火山です。軍事政権の82年ごろ煙が5合目あたりから
出たなんて話もありました。仙台の八木山によく似ています。高さは筑波山なみですが。
プラサ・デ・アルマに位置するカテドラルと新しい建造物の対象とでも言いましょうか?2007年の何変らない風景です。
Radio Beethoven です。チリから送られてくるFM クラシックです。一日のニュースやCMも放送されます。
Santiago Chile Insider Adventures
英語での紹介です”5重まる”の結構 綺麗なチリの風景を紹介しているサイトです。チリが好きな人には懐かしく見られる
と思います。
そして、カマラ・コマーシャル・ハポン・チリのサイトから沢山の綺麗なチリの風景が
紹介されています。風景写真館はここ です、ご満喫下さい。。泥棒 強盗の多い国 悪い奴等の多い物騒な国になってしまいましたが 私には
とても懐かしい国なのです。その他のリンク農林水産省OBの星野 氏のHP
サンチャゴ紹介からです。ここからも綺麗なサンチャゴ市内を見る事ができます。
そして、夏のチリのリゾートは沢山ありますがSan Alfonso が有名
です。近年出来たばかりですが、一度行くことをお勧め致します。チリにも北部に行くとチリのカリブ海と言われている
プラヤ・イングレッサと言うリゾート地があります。何もなくても綺麗な海岸線はチリならではと思います。
チリ プラヤ・イングレッサはAca
外国人のサイトで綺麗なサンチャゴの写真があります。 Santiago de Chile Daily Photo
結構綺麗です。お楽しみ下さい。
そしてもう一つ、結構真面目なBlogサイトです。チリため息日記byまるすけさん
私は日本の音響機器製造会社(PIONEER社)がサービス拠点を作る構想がありチリへ行った経歴
があります。第3の故郷です。とても好きな国ですし、スモッグさえなかったらもっと良いサンチャゴです。
サンチャゴがとても好きです。若い時に3年アメリカに住んでいたのも良い思い出です。甘すっぱい思い出のアメリカ
です。私の思い出 ノースフロリダ
ジャクソンビル・フロリダです。I-10 を熱風を切ってバイクに乗って突っ走る一人の日本青年がいました。1973年
そして、もう少し、、サンチャゴ市内をユックリ眺めましょう、これはリアルタイムのCAMです。日本からは夜半のアクセスが
良いと思います。「ここです」 100%懐かしく
なると思います。
そして極めつけ画質の良いサイトは、「ちりじり〜」のラウタロウさんの写真アルバムサイトです。
まずは、ここをClick
結構、サンチャゴを満喫できます。
そして、チリの写真家、アレックス・ガルシア氏の写真集です。モノクロですが綺麗なチリを満喫できます。
チリ 風景と生活
ここも
かなり綺麗なチリを紹介しています。「南米チリLife ~ケ・セラ・セラ~ :チリで子育て」
のタイトルのBlogです。お母さんで女性らしいBlogです。
旅行を趣味に持つ、高谷 徹 氏の南米旅行 🇨🇱チリ編
偶然、見つけた、とてもチリを高く評価して旅行をしてくれた、高谷 氏のチリ旅行記は、
です。
綺麗な写真も張られています 。2010年5月 リンク
Blog by Sr Vidal Concepcion Chile
南米の食材と書籍について、書籍はマナンティアル書店にあります。教材が多いのですが
雑誌もおいてあります。http://tokio.cervantes.es/jp/default.shtm ですが、現在名称が変わっています。
スペイン語の書籍、教材はここで、入手します。
食材は、五反田に2店あります。ペルー領事館、ブラジル大使館のあるビルで、JR 五反田駅前にあります。
Kyo Dai Market です。
とても明るい感じの良いお店です。通販もしており書籍、食材などがあります。書籍はポルトガル語、とスペイン語
です。
以下が内部の様子です。これで、ラテンな食べ物を入手出来ます。年中無休です。詳しくは電話をして情報を得てください。
東京近郊にお住まいでしたら、散歩がてらにお出掛け下さい。ウイークディは綺麗な白人の美人な女性が受け付けてくれます。
Casa de Eduardo ,Nakano Tokyo
そして、現在 2021年 多くのチリ人が日本に住んでいます。都内 中野にラテン料理を紹介するお店 Casa de Eduardo のお店のリンク
ここでエンパナーダなどやチリ料理を食べることが出来ると思います。その他
が、ありますが、これは福島県になり、通販でエンパナーダを送ってくれるらしい、まずは問い合わせ下さい。その他 信濃町のTiaSusanaが有名です。新宿にもチリ人のレストランがあったのを
覚えていますが、どうなったかは不明です。話は40年前になりますので、現在は不明です。現在、エドワルドさんのレストランはかなり有名です。エドワルド 都内 チリ料理で必ずヒットします。
無料のスペイン語の小説は、「here to get」をクリックして下さい。
Here to get
馬鹿にすることについて:
チリ人はインディオ以下じゃ怒らないのです。アフリカーノ以下と言うべきでしょうか? かなり怒ります。
プライドばかり高くてね、困った国の人です。能がない奴等に限ってもっと主張します。
私は国際結婚をしております。家内はフランス系 アルゼンチン人です。アルゼンチンと言う国はとても不思議
です。英国人、フランス人、そしてイタリア人の移民が多い国なんです。お隣の国 チリも似ています。意外に白人
が牛耳っている国、アルゼンチンとチリです。場所によっては、白人が多く、色のあるメスティソは偉くはなれない
国でもあります。アルゼンチン人とてチリにいたらチリ人ですが。
チリは英国人こそあまりおりませんが、意外に北欧系の人、特にドイツ系の人が多いのも特徴です。
日本人と違うこと、貯金をする週間がありません、あったらすべて使う、これがアメリカを破産させた
原因でしょう。英国、フランス、イタリア、北欧の人たち、勿論 ドイツ系の人たちが多い南米です。フランス製の
Metro,ヨーロッパ製の車両、神経が細かい人たち、チリ、アルゼンチンです。
チリの変人 日本人たち:
裏丘さん、山(山岸)ちゃん、古い話しです、。81年ころを話せば出てきそうです。
山ちゃんは有名な宿を営んでいます。バルパライソと言うところですが、
旅行者さん(バックパッカーと言う)たちが沢山のチリの写真を公開していますので、
ここで紹介しておきます。ここです >Meet the Paradiseと言う
題の旅行記(鴨内夫妻の自転車旅行記)の中で沢山のチリの2008年の写真を紹介しています。2010年の地震前のものです。
チリの風のBlogを書いているピーターさんもその頃の人です。チリの風は私の助けで最初のHPを公開
しました。彼も若かった80年代です。チリに骨を埋めた日本人も少なくないあの頃からの人たちです。
小説「革命商人」以降に出てきたチリが好きな人たちです。まだ、夜空では機関銃の音が響いていたころです。
100m おきに軍の兵隊が小銃を肩にかけて、物々しい状態の時代でした。昔のあの人は、今のあの人なんです
その人 その人 面影は残っています。
2010 年 10月のチリ・サンチャゴ市内、Vitacura地区 Tabancuraの風景 写真です。
サンチャゴ市内で、日本人も多く住む地域です。25階のマンションから見た周辺の風景です。チリ人の知人が
(ドクター)最近送ってきた風景です。春、と言った季節です。
ピノチエットが作った、高速道路が左手に見えます。アンデス山脈方向を見る
北側を見た風景、
そして、南側を見た風景はこんな風景
南側の風景、サンチャゴ市内、高級住宅地はこんな風景です。とても住みやすい地域の一つですが
昨今、治安が悪くなった国でもあります。強盗が多いのも事実です。それも若年層の犯罪が問題になっています。
学校の運動場、風景、緑いっぱいのサンチャゴ・チリでしょう
西暦 2010年 10月 撮影
イキーケ 2012 Cavancha Chile 綺麗でしょう
Goro Ueharaの写真館
Radio de Chile
You tube Link 集です。
VIDEO
Santiago Chile .seems not like south america. very beautifull city
VIDEO
Vina del Mar Chile
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Valdivia Chile 誰もが好きになるチリの田舎街です。
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幻想的なチリの北部 アタカマ砂漠 misterioso vista de desierto de atacama chile
私達の第2の故郷です。家内はこの国のお隣のアルゼンチンから来た私の嫁さんです。、数千キロにも及ぶ国土、幅はたったの200Kmほどしかありません、日本と同じ様に四季があります。日本をひっくり返した様な国土です。日系の人は少なく数万人程度です。
ほとんどの日本人は中央で海岸よりのVina del Marに近い農園都市に住んでいる、多くの人は農業で生活を得ており日本にも多くの農産物を輸出しています。ワインが有名ですが玉ねぎとか結構日本で見られます。海産物も多くこの国から来ます。
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Apoquindo Las condes Santiago Chile ハイクラスの住む区です。綺麗な町並み 私達はこの地域に7年近く住んでいました
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この地域が好きです。安全、綺麗な街、7年住んでいた地域です。南米を感じさせないと思います。小さいフランスと言われるサンチャゴ市内です
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そして市内のほぼ中央にある丘が海抜 900M のSan Cristobal の丘と言う丘 山です。休火山です。市内がほぼ600m程度ですので市内からは300m位の丘に見えます
マリア像は、アメリカの自由の女神と同じ、フランスから贈られた像です。
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walking Santiago 🇨🇱 - providencia & Vitacura 中級以上のクラスの住む地域のお散歩です
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Walking Vina del Mar 🇨🇱 ビーニャデルマルと言います。santiago から120Kmほど太平洋側に行った街です
VIDEO
Vina del Mar の紹介です。🇨🇱とても綺麗な リゾート地です、商業都市でもあります
VIDEO
🇨🇱Pucon Chile
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🇨🇱Pucon | Chile | Villarrica | 4k | Drone | National Park | Termas | Waterfall | Volcano
VIDEO
🇨🇱Viaje de Chiloe (Isla de chiloe)
VIDEO
🇨🇱Viaje de Puerto varas ,pucon and Yan Kee way
🇨🇱Yanky way Chile South of Chile
Tobalaba ・ apoquindo 交差点にある Live Camera です。youtube から見るをクリックして下さい(直接リンク不許可となりましたので、右の欄から拾って下さい)
私が働いていた米国系企業モトロラ系の無線機器会社です。MKS Chile と言います
剛柔流空手 チリ
チリ 日本人会です
RUT の検索 データーは20年前から40年前まで検索出来ます。私のデータも出ています
サンチャゴ市内はこのメトロでOKです。フランス製の車輌です
Sr Yamada (Yamada san) ヤマダさんのお父様は繊維関係の貿易商でした1982年頃 カナダにもお子様がいると言っていました、
1983年ころ、家内と散歩していると、山田さんご兄弟と道で合ったのです。私達はセントロからプロビデンシアまで、よく歩きましたので、その時に偶然合った二人でした。日系の2世でした。日本語は出来ませんでしたが、
気持ちの良いほど明るい人達で、よく気軽に挨拶をしてくれました。彼らは、昔、Sonyカントーヤの看板のあるビルの近くのマンションにご両親と住んでいました。ご両親は不思議でしたね、お父様は日本語は出来るが
お母様は日本語をほとんど使わない大変無口の優しい日本女性でした。私達はその20年後に訳あってチリに戻り、私はチリのUSA系の企業で働いておりました。時々メトロの中で偶然合ったのです。遭遇と言った方が良いと思います。
相変わらず、繊維の輸入関係の貿易会社をしていると言っていましたが、同時に旅行会社も作っていたのです。その後、日本からチリへ留学した女性を知り、山一に応募したらと言いましたら、入社したと言うメールをいただきました。
彼らはとても明るい人達だったので、仕事もやりやすかったと思います。2002年頃、ナオミさん、グスマンさんの息子さん達と合ったのも散歩でした。知り合ってその日のうちに家内は家庭教師になったのです。お子様は今は沖縄とUSAにおります。
二人とも、ご結婚されて元気ですのをFacebookで確認出来ます。1982年頃は家内はプロビデンシアの軍事病院で血液検査技師として働いていました。戒厳令のある厳しい時代でしたのを今でも思い出します。
世の中は広くても、狭いと言うことです。1981年頃、私のチリへのVISAの発行の日本 チリ領事館の署名の名が家内の叔父の名であったのはその後の知りました。そんな世の中は狭いのです。
これは私が最近売った自作品の真空管アンプです mizushima audio lab として販売した製品です。ここに示すのはチリのみです
From Aug 2003 Last up date 5th Jan 2023 Editd by Linux Blue fish